2008年12月27日土曜日

ブログ名の由来

ブログ名の「道聴歩録(どうちょうぶろぐ)」は「道聴塗説(どうちょうとせつ)」という言葉から取った。

ブログ名を何にしようか考え,自分の名前の一字「道」の付く言葉を漢和辞典や国語辞典,中国語辞典で調べていて「道聴塗説」に行き当たった。中国語(簡体字)なら「道听途说」と書く。これは「そのへんで聞きかじった話を知ったかぶって話す」というような意味だそうだ。転じて,「身についていない浅はかな受け売りの学問」をも指す。日本語の方は「塗る」という字を書くが,「途」と同じく「みち」のこと。

この言葉を見つけて,あ!と思った。私は以前から,仕入れたばかりの知識をひけらかす癖がある。知ったばかりのことは人に話したくて仕方がない。身についていないから不正確なことも言ってしまう。気を付けねばと思ってもなかなか直らない。道聴塗説は私にぴったりの言葉だ。そこで,これをブログ名に使うことにした。なお,「ブログ」に「歩録」の字をあてるのは,自分で思いついたのだが,すでに多くの人がやっていた。

ブログの記事そのものは,そのへんで聞いたことをそのまんま書いているわけではないが,書いている者が道聴塗説な奴だ,というふうに理解してほしい。

2008年12月25日木曜日

マンガ好きと漢字の読み間違い

2008 年の秋,ときの首相が答弁でしばしば漢字を間違って読むことが話題になった。マンガ好きで知られる首相なので,「マンガばかり読んでいるから(本を読まないから)漢字を覚えないのだ」との批判もなされた。果たしてそう言えるのか?

どういう間違いをしているのか見てみよう。「踏襲(とうしゅう)」を「ふしゅう」,「未曽有(みぞう)」を「みぞうゆう」,「有無(うむ)」を「ゆうむ」といった具合。

私も漢字力が乏しいので,このことを批判する資格はない。とても恥ずかしいが,私が長らく間違って覚えていた漢字語の読みを挙げてみる。「珠玉(しゅぎょく)」を「しゅだま」,「高騰(こうとう)」を「こうふつ」,「贋作(がんさく)」を「にせさく」,「造詣(ぞうけい)」を「ぞうし」,「破綻(はたん)」を「はじょう」(破綻は件の首相も間違えたようだ)などなど。この例の中で,「高騰」の間違いは明らかに「沸騰(ふっとう)」の影響だ。

話を元に戻す。マンガばかり読んで本を読まないとこういう間違いをしがちになるのだろうか? 必ずしもそうとは言えまい。上に挙げた例はいずれも読み方を間違ったものだ。字面と意味はどうにか正しく認識しているように見える。

マンガにはルビが積極的に振ってあるので,むしろ正しい読みを覚えるという効果が無くもない。一方,教養主義者が好んで読むような本は,上に挙げたような常識的な言葉はルビを振らないので,《字面と文脈からなんとなく意味は分かり,何度も読んでいるうちになじんでしまうが,間違って覚えた読みが脳に固定される》という事態が起りやすい。初めて見た言葉の読みを,きちんと考えて推測し,分からなければ辞書で確認する,という習慣のある人は,読書を重ねることで言葉を正しい読みとともに覚えるだろう。しかし,漢字語というものは正しい読みが分からなくてもなんとなく読めてしまう魔物なのだ。

教養主義の文脈で語られることのある,ある首相経験者が,在任中の答弁で「大規模」のことを「おおきぼ」と読んでいたことを思い出す。

もっとも,「ふしゅう」の首相の間違いどころは,「頻繁」と言うべきところで「はんざつ」と言うなど,読みの間違いにとどまらないようだ。悲しいのは,マスコミで騒がれるまで誰も指摘してくれなかったことではないか(聞く耳を持たなかったのかもしれないが)。まさに裸の王様だ。大学教授でも,初歩的な英単語の綴りを間違って覚えたまま英語論文を書き続けていることがある。大先生になってしまうと誰も間違いを教えてくれなくなるからだろう。

2008年12月15日月曜日

科学の本の質

「科学の本質」じゃなくて,科学の書籍のクオリティーの話ね。

学生の頃,定年も近くなった指導教官が遠い目でこう仰ったのを今でも覚えている。

ボクらの年代以降の人は・・・本をまじめに書かなくなったから・・・君たちは,ある意味・・・不幸だ。

果たして著者の年代でそう割り切れるものかどうかは分からないが,昔,本当にまじめに本を書いてくれる先生方がいたこと,そして現在,あまりまじめに本を書かない先生方が少なくないことは確かだ。長い間,科学の本から遠ざかっているので最近のことは分からないが,学生時代の記憶を辿ってみる。

書店の数学のコーナーに行くと,線形代数と微分積分の本がたくさんある。なぜたくさんあるかは分かりきっているから書かない。これらのうち,既存のものを越えようと志した本がどれほどあるのか。

まじめな本づくりで私も評価しているある著名出版社から「基礎なんとかシリーズ」なんていうのが出る。執筆陣も豪華。意気込んだ企画におお!と思い,興味のある巻を何千円も出して買う。読んでも分からない。頭が悪いせいだとがっかりする。何度か挑戦するがやっぱりよく分からない。何年も経って,その本を理解する素地が整ってくると,頭のせいだけではなかったことが見えてくる。著者に書く力が無いのだ。そしておそらくは片手間に書いている。

良い本に出会った人の中から良い本を書く人が現れる。良い本に出会えなかった人が良い本を書くのは難しい。いま良い本を作って世に出すことは,次の次の世代のためにとても大切なことなのだ。


2008年12月14日日曜日

数学と物理の言葉の違い

数学と物理で,慣習的に同じ概念を違う言葉で表すことがある。

例えば,線型空間 V の任意の元が,V の部分集合 {vi} の元の線型結合で表せるとき,数学では「{vi} は V の生成系である」などというが,物理学者はしばしば「{vi} は完備である」などという。「完備」は complete の訳語だろう。「完全系」などともいう。

これが齟齬を来すこともある。

学生の頃,量子力学関係の何かの集中講義に数学科の学生が二人潜っていた。教師が「○○は完備です」というと,彼らは解析や位相でいうところの完備(こちらも complete)と誤解し,どう考えても完備じゃないので,間違ったことを言ったと思ってツッコミを入れていた。私はフォローしようとしたが,それを先生は遮り,両者に誤解だけが残った。

2008年12月12日金曜日

ゲタのデザイン

印刷業界で使われる「ゲタ」という符号がある。「〓」のことだ。下駄の足跡のようだからそう呼ぶのだろう。

この何だか無粋な符号は,現在では《最終的にはそこに文字が入る予定だが,何が入るか不明なので,とりあえず空けておく》目的で使うことが多い。たとえば,本の奥付で発行年月日を「2009年1月〓日」としたり,手書き原稿が読めなくて「山田〓雄」としたり。初校ゲラでゲタにしておいて,そこに赤字を入れてもらうわけだ。

どうしてこんな形をしているかというと,活版印刷にルーツがある。活版では,たとえば「あ」という字が50回出てくるなら50本の「あ」という活字が必要になる。それがたまたま足りなくなることもある。足りなくなったら急いで買うなり鋳造するなりしなければならない。しかし,補充が来るまで進行を止めるわけにもいかないから,「あ」の代わりに他の活字を逆さまに(つまり字面を下に)入れておくのだ。活字のお尻には溝があるので,そのまま刷ると「〓」のようになる。

下の写真で,左側に写っているのは活字を逆さまに立てたもの。これで印刷すれば「〓」のようになるのが分かっていただけると思う。

右に写っている謎の物体は「ぜい片」(ぜいへん)というもの。奇妙な形だが,実は鋳造直後の活字は,お尻にぜい片がくっついた状態になっている。図無しでは説明しづらいが,上の写真で活字の上部とぜい片の上部がくっついた状態ということだ。このぜい片を折り取った跡が溝なのである。

ここで,デジタルフォントにおけるゲタのデザインを考える。本物のゲタは,全角いっぱいの黒四角に細く白い筋が通ったように印刷されるが,デジタルフォントでその通りにデザインしなければならいということはない。全角いっぱいにデザインすると鬱陶しいだろう。しかし,ゲタがどのように使われるかを考えると,少なくとも十分に目立たせる必要はある。それなのに,イコール「=」を極太にしたような程度の弱々しいデザインのフォントがあるのは残念だ。

ゲタ一つデザインするのにも,活版でどうだったのか,現在はどのように使われているのかといったことを考えていただけるとありがたい。

現代仮名遣いに「づつ」

現代仮名遣いは十分に普及した。ほとんどの人がほぼ正確な現代仮名遣いで文章を書くことができる。

しかし,ときどき歴史的仮名遣いが混じることがある。いちばん目にするのは「づつ」。年配の方で「どっちが正しいのかよく分からない」という人もいる。

「ずつ」を「づつ」と書いてしまう背景には語源意識があるのではないか。辞書で調べると「づつ」の語源ははっきりしないようだが,いかにも同じものが繰り返しているような感じはする。「つづく」や接続助詞の「つつ」(例:歩きつつ)と何か関係ありそうな気もする。だからつい「づつ」と書いてしまうのでは。

オフセット印刷の意味範囲

現在,商業印刷の多くは「平版オフセット印刷」という方式で刷られている。

この言葉は,平版という版式を用い,オフセット方式で紙に転写することを意味している。

平版は,平らな版上に親水性の部分と親油性の部分を形成し,親水性部分に水の皮膜を作って親油性の部分のみにインキ像を形成する方式だ。石版印刷(リトグラフ)も平版の一種。

そして,オフセット方式は,ブランケット胴と呼ばれる,ゴムを引いた円筒に版のインキ画像を転写し,それをさらに紙などの被印刷体に転写する方式をいう。

したがって,オフセットだからといって版式が平版とは限らない。実際,ドライオフセットとかレターセットと呼ばれる凸版オフセット印刷もかつてあった。

現在,平版印刷はオフセット方式を使うし,平版印刷以外では特定の分野を除けばオフセット方式は使われていない。そこで,平版オフセット印刷を単に「オフセット印刷」と呼んでいる。まず誤解の余地はなく,ふだんの会話でこのような言葉づかいをするのはもちろん問題ない。

しかし,用語辞典や印刷技術の解説書などでは,やはり平版とオフセットの本来の意味をまず説明するべきだろう。版式の解説でいきなり「凸版・凹版・オフセット・孔版」などと書いてあるのを見ると,首を傾げてしまう。オフセットは版式ではないのだ。

2008年12月11日木曜日

ミーリング

製本に関する用語「ミーリング」について。

糸や針金を使わずに接着剤だけで綴じる方法を「無線綴じ」という。このとき,接着剤を付ける背の切断面をザリザリに加工する工程をミーリングというらしい。

原語は英語で,milling である。今ふうの仮名表記なら「ミリング」になるところだろう。

それはいいのだが,「ミーリング」の表記に引きずられたのか,英語の綴りを mealing としている書物がある。食べ物じゃないんだから(笑)

残念なことに,日本印刷学会編『印刷事典第五版』や日本印刷産業連合会編『印刷用語集』にはこの誤った綴りが載っている。

2008年12月10日水曜日

套印本

「套印本」。うーむ,見るからに難しげな言葉だ。読み方すら分からない。木版印刷に関する資料によく書いてあるのだけど。

調べたところ,トウインボンと読むそうだ。そういえば「外套(がいとう)=コート」とか「常套手段」の「套」だ。「套印本」の意味は「多色印刷の版本」。狭義には,墨を含む四色印刷のものを指すらしい。版本(はんぽん)というのは,おおざっぱには木版印刷で刷られた本のことと思ってほしい。

「套」の字には「かさねる」の意味がある。重ね刷りしたものが套印本で,身体に外から覆い重ねるのが外套というわけだ。「套」には「ふるくさい」という意味もあり,ここから「常套=ありきたりの」という言葉が出来る。

套印本が現れたのは元(げん)の時代。墨と朱の二色で刷る朱墨套印というものだ。明(みん)の時代になると技術が発達し,芸術性の高い多色印刷が行われるようになったという。